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2010年 家族3人でカリフォルニアから帰国後、
夫の夢であった地元でお店をだすという気持ちに賛同し佐賀に移住を決め、
住居・店の物件、保育園探しと慌ただしい日々が佐賀で始まりました。
2011年 佐賀市の佐賀神社裏 松原川が流れる美しい場所に
TIMER CALIFORNIA KITCHEN という屋号でレストランをオープンしました。
野菜料理が美味しいと評判になり、やりがいを感じる毎日でした。
しかしその一方で私たちの生活といえば、睡眠時間は3~4時間、家の中は洗濯物の山、
たまの休みの娘との時間もコインランドリーに時間を取られ、食事も家では作らず外食ばかり、
なんのために働いているんだろう?
子供を犠牲にしているのではないか?
段々そんな生活に疑問に感じるようになっていきました。
2014年 長男を授かったのを機に、風通しの良い築40年の一軒家に引っ越しました。
夏が過ぎ秋の気配を感じる頃、
前々から好きではなかった冷蔵庫の音を消したいと思い、プラグを抜きました。
疲労が溜まり、電化製品の音のしない環境の中で眠りたいと思ったからです。
抜いた後は、物がどんどん腐っていくのを目の当たりにし、
捨てる事を苦しく思いながらも腐敗と醗酵を学んでいきました。
そんな日々の中で、なんでも詰め込んでいた冷蔵庫と自分とを重ね合わせたのかもしれません。
その後、色々なものを無くしていきました。
車、エアコン、プリンター、生命保険、世の中の情報も。
本当に必要なものを知りたくて。本当は少しの物で生きていけるんではいかと思いました。
私も冷蔵庫のようにオフにして空っぽな状態にして、1から母親業をやり直したいと思いました。
へその緒が繋がっていれば親子になれると思っていましたが、
そうでない、一緒に過ごす時間がないと絆は生まれないんだと。
今まで娘にご飯を作ってあげられなかった分、これからは家族のために料理を作りたい、
家を守りたい、家族と歴史を刻むような暮らしをしていきたい、
そのために前へ前へ進んでいきました。
私たちの営んでいたレストランという仕事は、夢のある料理を作り、
喜んでもらえるやりがいのある仕事です。
しかし裏では、土に還るものも余裕のなさから全部ゴミとして出し、
洗剤や便利な電化製品に頼り、環境に優しいとは程遠いことをしていました。
そして常に、時間にも、お金にも追われていました。
そんな仕事とお金を中心とした暮らしではなく、
『暮らしの中に仕事がある暮らし』はできないのか、
家族で働けるような暮らしを中心とした仕事はないだろうかと考える日々でした。
カリフォルニアで出会った人達がいつ来ても泊まれる場所を作るのが兼ねてからの夢でした。
私たちのできることはやはり料理を作ること、そしておもてなしすることでした。
レストランは短い時間で満足してもらはなけらばなりませんが、
宿であればゆっくりとした時間の中で楽しんでもらえる、
ゆっくりとした子ども達との生活のペースも守れる気がしました。
そして、お客様も子ども達も、のびのび過ごせる広い土地が必要と思い探し始めました。
最初は古民家改装の構想で探していましたが理想に近い物件はみつかりませんでした。
そんな話を三瀬で養鶏をされている小野寺さんに相談すると、
自分は理想を10個あげて土地を探したと言われました。
・小さな無人駅が近くにある
・原子力発電所が近くにない
・電線が見えない
・自然の音が聞こえる
・山の上の方でない
など自分なりにあげてみました。
色々見て回った結果、風情ある無人駅であっても国道が直ぐ前を走っていたり、
のどかな田舎の風景が残っていながらも、上に高速道路が走り騒音が響いてきたりと。
山頂でないと理想の土地は見つからないのかなと諦めかけていた時、
有田焼きで有名な有田町の町づくり公社にその当時勤めていた藤山雷太さんに出会いました。
有田駅で待ち合わせしました。
無人駅ではありませんでしが、山に囲まれ風情もあり好みの駅前でした。
駅周辺の歴史的建造物など魅力ある物件をたくさん案内してくれましたが、不動産が持っている物件ではなく、管理に困っている地主さんがたくさんいるはず、
そんな方の土地を譲り受けたいと伝えると、
地元で建設会社をされている岩忠建設さんを紹介してくれました。
そして、先祖代々大切にしているミカン畑だった土地を案内してくれました。
その土地は国道から少し上がった所にあり、
望む風景は美しく、電線もなく、自然の音が聞こえる理想的な場所でした。
私鉄の松浦鉄道の『蔵宿』という駅が徒歩10分程の所にあり、
これなら車なし生活が続けられると思いました。
ここで、暮らしの中に仕事がある暮らしを初めたい、移住を決断しました。
福岡の建築工房の高木さんに建築を依頼、
食だけではなく、電気、ガス、水道のエネルギーも自給し、
自立した暮らしができる宿兼自宅を建てたいとお願いしました。
自立の先には自由があると思うからです。
低予算ということもあり、打ち合わせは幾度となくり返され、
理想に近づきつつも、予算の都合もあり、井戸は掘れず、水は上下水道を引きました。
でも鍵を手渡されたのが春、初めての夏は今までにないほどの酷暑で井戸を掘れてたとしても
枯渇していたかもしれない、お客様や子ども達のために、屋根や土に水をまき、
内外気の気温を下げていたので、水道を引いたこと、助けられたと思っています。
電気は夢であったオフグリッド生活が実現し、
タイマー発電所から3枚のパネルで小さな電力を発電しています。
ガスはひかず、お風呂、料理などの熱源は全て薪で問題なく賄っています。
火を焼べる作業は楽しい、敷地の掃除にもなる、美味しい、温まる、、、いいことづくしです。
自立を目指した建物、
衣食住の
『住』
・なぜ登り窯のように斜面に建っているかというと、
夏の暑さ対策で、上に溜まった熱が斜面下から斜面上へ回転
扉を通って抜けていくようになっています。
・昼間の照明は要りません。屋根のトップが透明になって
おり、障子を通して自然光が入るようになっており、
昼間は明るく、満月の夜は月明かりで眠れないほど。
・太陽熱温水器は素晴らしい。夏のお風呂は薪いらず、冬の洗い物も安心です。
・地中3M掘って作られた地中冷蔵庫は、ワインを適温に保ちます。
・断熱材代わりに、その土地にある土を突き固める版築工法で壁を造りました。
お金はかからないけど、重労働のこの仕事は総勢80名の方に手伝ってもらい
5分の1の壁が出来上がりました。
・厨房の床は三和土、これもたくさんの方が土を叩き 固め三和土ができあがり、
夏場食べ物が腐りにくい涼しい厨房になっています。
予算の都合で基礎だけを岩忠さんに建ててもらい、
内装は廃材古材を大切に使う熊本の大工太鼓の北村さんと
そのメンバーと一緒に作り上げていきました。
新築なのに、中古のような建物、畳も廃棄処分される畳を地元のしげとみ畳屋さんからもらい
自宅の床にしていたり、たくさんの人の協力を得てこの建物は立ちました。
『衣』
エアコンなしの生活は、冬は大丈夫ですが、夏はとにかく暑い!
既製品の衣類では乗り切れないと感じ、究極に涼しい服のために、毎年試行錯誤しておりました。
パンフレットの表紙の『TIMERの宿』を書いてくれた、書家の池田さんが、
毎年苦しんでいる私に早川ユミさんという布作家さんの本を貸してくれました。
ユミさんは農民服や野性を生きるための服を高知の谷相で作っている方で、
祈りながらチクチク縫いをされる作家さんです。
私はその方から縫い物だけではなく、生き方にも深く感銘を受けました。
私も祈りたい、
そう思いながら、宿の寝具や寝間着、暖簾、家族のユニフォーム、作業着などを縫っています。
『食』
いただきます。ごちそうさま。
有難いと思う気持ちを大切に、種を蒔き、育て、食していきたいです。
今後はニワトリを飼ったり、果樹を植えたり、畑を広げたり、染物をしたり、
ここに住む先輩たちから学びながら
生きる力を養っていきたいと思っています。
TIMERの宿につがいのヤギが仲間入りしました。
愛おしく頼もしいヤギも一緒にお出迎えいたします。
手で作りあげてく喜びや温かみを、ここに訪れる全ての
人に感じてもらえたら嬉しく思います。
高岡 博子(COBA)